大型倒産速報(サンプル)

2○○○年/○○月/○日
証券業(会員)
○○
證券株式会社 
自主廃業に向けて営業を停止し、事実上経営破綻
負債○億円
TDB企業コード:
○○○○○○○○
○○證券(株)(資本金1268億3121万7000円、東京都中央区日本橋茅場町2−16−1、代表○○○氏)は6月1日、東京地裁へ自己破産を申請していたが、同月2日同地裁より破産宣告を受けた。

 破産管財人は松嶋英機弁護士(東京都港区虎ノ門4−2−12、電話03−3433−7631)。

 当社は1897年(明治30年)に小池国三商店として創業され、1943年(昭和18年)9月に小池証券(株)との合併で法人化された証券会社。

1960年頃には証券業としては国内最大手の規模を有していた時期もあったが、1965年の証券不況(昭和40年不況)により経営が行き詰まり、日本銀行による特別融資(日銀特融)約282億円を受けて乗り切る事態となった。

その後特融は4年間で完済、そして73年4月に東証1部に上場するなど再建を果たし、法人営業に強みを持つ「法人の山一」として、野村、大和、日興と並ぶ日本の4大証券会社として高い知名度を有していた。

その後バブル期に入り業績は急伸、ピーク時の90年3月期には営業収益約5735億100万円をあげ、97年5月時点の国内営業店舗は117店となっていた。

しかし、バブル崩壊後は株式相場の急落などで急激に業績は悪化、93年同期には営業収益がピーク時の3分の1以下の約1887億2400万円にまで落ち込んでいた。

また不動産市況の低迷で経営不振に陥っていた系列ノンバンクの支援で、97年同期には約1500億円の支援金供与を余儀なくされ、1647億円あまりの当期赤字となっていた。

また、97年9月中間期でも営業収益約993億5600万円に対し、経常損失約27億3700万円と、当時4大証券では当社だけが赤字決算となっていたうえ、同年9月から10月にかけて、総会屋への利益供与事件や損失補填事件で元社長ほか役員が逮捕されたことで、取引先からの発注停止が相次ぎ経営は一層悪化していた。

このため外資系証券会社との提携等で再建を模索していたが、同年11月の三洋証券の会社更生法申請、北海道拓殖銀行の経営破綻など金融界の信用不安が増幅、株価や投資格付けも下落し、短期市場からの資金調達も限界となっていた。

さらに過去の「飛ばし」による約2648億円の簿外債務の存在が発覚したこともあって、11月24日開催の取締役会で自主廃業に向けた営業停止が決議され事実上経営は破綻した。

その後は日銀特融を受けながら、顧客への預かり資産の返還など清算業務を行い98年3月末までに営業していた全店舗を閉鎖し7500人の従業員全員を解雇。

うち33店舗・約2000人についてはメリルリンチ日本証券(株)が営業を継承したが、自主廃業の手続きについては、経営破綻が発覚して以降に主要株主が離散したため、手続きに必要な解散決議が困難な状況に陥っていた。

また破綻当初は、同社は債務超過ではないとしていたが、98年3月期決算が約225億円の債務超過に陥り、99年同期でも債務超過額は約410億円にのぼっていたことから、自主廃業による清算の見込みも立たなくなっていた。

こうした中、顧客からの預かり資産の返還などの業務をおこなってきたが、これがヤマを越したことから、6月1日に東京地裁へ自己破産を申請していた。


 負債は約4964億円。

 
なお、破綻前の97年9月中間期時点での負債は約3兆5000億円に達し、98年3月期末での日銀特融残高は約5050億円となっていた。

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